こんにちは!
マッチングサービス構築アドバイザーの深谷(フカヤ)と申します。
このたびは、私のブログをご覧いただきまして、本当にありがとうございます!
このページでは簡単に私の自己紹介をします。
私は1974年の生まれで、栃木県の那須が出身地です。
大学を卒業して大阪で5年間働いた後、カナダのバンクーバーに留学し、帰国してからはずっと東京で暮らしていて、今は毎日自宅で仕事をしています。
WordPressを使って誰でも簡単にマッチングビジネスが始められるソフトウェアを開発して、それをネット上で販売することで生計を立てています。
専業主婦の妻と小学生の息子、フレンチブルドッグ一匹と一緒に毎日にぎやかに暮らしています。
深谷のちょっとした歴史
そんな私ですが、大学を卒業した後に、昔から作ることが好きだったこともあり、文系出身だったにもかかわらずSEとして働き始めました。
SEとは言っても、任される仕事は顧客対応やシステムのメンテナンスばかりで何一つ作られてもらえず。
そんな状況に嫌気がさし、一念発起して苦手だった英語を勉強し直して、会社を辞め、カナダのバンクーバーというところにあるインターネットの専門学校へ入学しました。
カナダでは憧れだった海外生活を満喫しながら、Webのプログラミングや英会話を学びました。
(ちなみに妻ともこの時に知り合いました)
右端が私。外国人に撮ってもらったらボケボケ(笑)
学校を卒業した後は、現地でプログラマーとして働く話があったものの、とある有名外資系コンサルティング企業からプログラマーとしてお声がかかり帰国。
まだ若かった私は、外資系企業で働けると喜んでいたものの、待っていたのは連日、終電が過ぎても帰れない激務の日々でした。
婚姻届けを出しに行った日も、朝4時に帰宅し
「寝たら起きれなくなるから今から出しに行こう」
と寝ている妻に言って怒られるしまつ(笑)で、こんな風に毎日タクシー帰りの日々が1年以上続きました。
30歳のときに「もう無理!」と転職を決意し、ダメもとで応募したマイクロソフトに運よくエンジニアとして採用してもらえました。
10年間働いたマイクロソフトの社員証
そこからさらに運よくマネージャーにまでなったものの、度重なるストレスで、顔の半分が突然マヒして動かなくなったり、軽いうつ状態になり精神科の前まで足を運んだりと、外資系サラリーマンとしての働き方に限界を感じるように。
また、リーマンショック以降に数々の外資系で行われたリストラを目の当たりにし、いつ自分もクビを切られてもおかしくないと考えはじめ、将来に強い不安を抱くようになりました。
そこで40歳のときにかなり思い切ってマイクロソフトを退職することに。
「きっと、なんとかなるだろう。」
と軽い気持ちで独立してみたものの、待っていたのは1年半収入がないどん底生活でした。
どんなに家計が厳しくなっても決して働くとは言わない強気な(笑)専業主婦の妻と、幼稚園児の息子に、家のローンまで抱えて家計は破産寸前の状態に。
冗談ではなくて毎晩眠れない日々が続きました。
知人と一緒に会社を作ってWebサービスを始めてみたものの、なかなか事業は軌道に乗らず、ついに個人事業で稼がざるを得ない状況に。
そこで、WordPressを使って会員制サイトや、ビジネスマッチングサイトを始める方法をセミナーや動画を使って教え始めたところ、たくさんの人に受講してもらえるようになり、見事、この苦境を脱出することができました。
現在は自宅で大好きなプログラミングをしながら、毎日、子供と一緒におやつを食べる平和な暮らしをしています。
営業するのが苦手で、集客も販売もネットでのみ行っているので、下手をすると全く外出しない日も(笑)。
ノープランで独立後、地獄のような3年間を耐え抜いたからこそ手に入れられた暮らしだと思っています。
いつかは妻と出会ったカナダのバンクーバーに家族で移住するのが夢で、そのために、お金に困ることなく家族と一緒にどこでも暮らしていける力を身につけようと日々頑張っています。
「人生一度きりだからやりたいようにやろう」
これは私の考えでもあり、いつも私を支えてくれる妻の言葉でもあります。
私は元々自分のやりたいことより、周りの期待に合わせて生きてきた人間でした。
中学生の時は、先生に生徒会長に立候補するように言われたので生徒会長になり、親からはサラリーマンになるように言われたのでサラリーマンになりました。
サラリーマンになってからは、どうすれば仕事が良くなるかより、どうすれば上司に評価してもらえるか、どうすれば同僚から嫌われないで済むか、そんなことばかり考えて、自分のやりたいことなど押し殺して仕事をしていました。
そんな自分が初めて殻を破ったのは、サラリーマンを辞めてバンクーバーに留学したことでした。
親の期待に背き、自分を評価してくれている会社を辞めるのは、当時の自分にとってはかなり難しい決断でしたが、会社を辞めてバンクーバーに行ってみると、本当に何もかもが楽しくて、自分の人生を生きていることを一番実感した一年となりました。
その後、日本でサラリーマンに戻り、また上司の評価を気にしながら過ごしていくうちに、徐々にストレスが溜まって
「自分の人生はこれなのか?」
と疑問を抱きながら暮らしていました。
そんな時に妻がかけてくれた言葉が、前述の
「人生一度きりだからやりたいようにやろう。」
でした。
その言葉をきっかけに独立し、最初は死ぬほど厳しい日々でしたが、今はこうやって、本当に自分のやりたいことをやりながら、家族を養って暮らしています。
この自己紹介を読んでくれているあなたには、私のような安易な独立は全くもってお勧めしませんが、自分のやりたいことに挑戦する生き方はできればお勧めしたいと思っています。
人生一度きり、自分の人生です。